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熱海土石流11カ月 盛り土崩落現場公開、被災者ら改めて怒り - 産経ニュース

Posted: 03 Jun 2022 04:31 AM PDT

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熱海土石流から11カ月。盛り土崩落起点現場を見下ろす被災者ら=3日、静岡県熱海市(岡田浩明撮影)
熱海土石流から11カ月。盛り土崩落起点現場を見下ろす被災者ら=3日、静岡県熱海市(岡田浩明撮影)

静岡県熱海市で昨年7月に起きた大規模土石流から11カ月を迎えた3日、県は、盛り土のあった崩落現場付近で今後の大雨への応急対策として設置した排水設備を被災者らに公開した。眼下には、多くの犠牲者や家屋をのみ込み、被害を拡大したとされる盛り土が削り取られ、険しい谷底となった崩落起点が迫り、被災者らは改めて怒りをあらわにした。

「ここに盛り土があったことを事前に知っていたら、(発生時に)避難して亡くなる人はいなかったはずだ」。家屋が全壊した志村信彦さん(41)は崩落起点を眺めながら、盛り土の土地の現旧所有者らが関与を否定し、責任を押し付け合うなかでのやり場のない怒りをぶちまけた。

県によると、土石流の崩落起点付近の盛り土は発生前、約7万立方メートルを超えていたとみられ、大半が土石流で崩落したが、なお約2万立方メートルが残っている。梅雨や台風シーズンが迫る中、県は崩落リスクを抑えるため、地表に排水路を設置したり、地中に排水管を埋設したりして応急対策を進めた。

現地見学に参加した被災者らは、県と市からの安全対策工事についての説明を熱心に聞いた=3日午後、静岡県熱海市伊豆山(田中万紀撮影)
現地見学に参加した被災者らは、県と市からの安全対策工事についての説明を熱心に聞いた=3日午後、静岡県熱海市伊豆山(田中万紀撮影)

それでも、この日の応急対策に関する説明会では、「地域住民に再び被害が及ぶことはないのか」などと、残存する盛り土の崩落を心配する声が相次いだ。

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震災被災者 無縁仏で弘前に眠る by 陸奥新報 - 陸奥新報

Posted: 03 Jun 2022 01:31 AM PDT

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 弘前市の社会福祉法人弘前豊徳会が運営する介護施設で1月、東日本大震災の被災地福島県いわき市から受け入れていた女性=享年(94)=が亡くなった。埋葬されたのは、弘前市小沢の墓地公園にある合葬墓。同法人が震災発生直後から受け入れを行ってきた被災地の要介護者のうち、死後遺骨の引き取り手がなく、無縁仏として弘前の地で眠るのは4人になった。同法人は、たとえ死後でも故郷に帰してあげたい-と八方手を尽くすが、かなわないケースも。担当者は「弘前で眠る被災地の方がいることを、少しでも心に留めてもらえたら」と、静かに墓に手を合わせる。
 墓地公園の一角にある合葬墓で2日、被災地からの受け入れ支援を担当している宮本航大さん(43)によって納骨が行われた。墓前にはヒマワリが手向けられた。「ヒマワリや菜の花など黄色いお花が好きだと話していたのが印象に残っていた」と、福島から花を取り寄せた。
 亡くなった女性は南相馬市出身で、長らくいわき市の救護施設で暮らしていた。約3年前に同法人が受け入れ、有料老人ホームに入所。弘前での暮らしにもすぐに慣れ、部屋から見える岩木山に毎日手を合わせていた。冬になると雪にすっぽり隠れてしまう様子に驚いていた様子も、宮本さんの記憶に残っている。女性は今年1月、施設で息を引き取った。
 弘前豊徳会で受け入れている要介護者は、介護人材不足が著しい地元施設での受け入れが難しいなど、困難な事情を抱えてるケースが多いことも背景にある。震災から11年が経過した今も、被災地からの受け入れ要請は絶えない。
 同施設がこれまで受け入れてきた被災地の要介護者は200人以上。粘り強く帰郷支援を続けているが、その約6割は弘前で最期を迎えている。
【写真説明】亡くなった女性が好きだったヒマワリを手向け、手を合わせる宮本さん

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阪神大震災10000日 「一日一日、前向き歩む」被災者たち - 毎日新聞 - 毎日新聞

Posted: 03 Jun 2022 12:31 AM PDT

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〈阪神大震災から10000日目の朝〉(左の写真)大きな被害を受けた神戸の神戸阪急ビル東館(現・神戸三宮阪急ビル)=1995年1月17日午後(右の写真)神戸三宮阪急ビルの前には日常の姿が戻った=2022年6月3日午前8時33分、三村政司撮影
〈阪神大震災から10000日目の朝〉(左の写真)大きな被害を受けた神戸の神戸阪急ビル東館(現・神戸三宮阪急ビル)=1995年1月17日午後(右の写真)神戸三宮阪急ビルの前には日常の姿が戻った=2022年6月3日午前8時33分、三村政司撮影

 阪神大震災の被災地は3日、発生から10000日目を迎えた。1995年1月17日午前5時46分、兵庫県・淡路島北部を震源(深さ16キロ)とするマグニチュード7・3の揺れは、約25万棟を全半壊し、6434人の命を奪った。多くの火災を発生させ、高速道路を倒し、鉄路をねじ曲げた。

 3日朝、神戸・三宮では通勤・通学客らが行き交い、車両が往来し、列車が次々と発着する日常があった。東遊園地(神戸市中央区)では震災犠牲者を追悼する「1・17希望の灯(あか)り」がともり続ける。

激震で根こそぎ倒れたビル=神戸市中央区で1995年1月18日、中村琢磨撮影
激震で根こそぎ倒れたビル=神戸市中央区で1995年1月18日、中村琢磨撮影

 立ち寄った上野泰昭さん(79)=同区=は近くで営んでいたレストランが全壊、二重ローンを抱えた。その後、被災者団体を設立して救済運動に奔走した。この朝、震災当日の足取りをたどりながら「一日一日悩みながらも前を向いて歩むしかなくてね」と語った。

 当時の被災者らの声を受け、98年に成立した被災者生活再建支援法は、後の災害被災者への「公助」の柱となった。だが拡充が求められている。上野さんは言う。「被災者が長く災害に引きずられることのない社会の備えを次世代への置き土産としたい」【高尾具成】

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